カスピママのお部屋♪

ママの爆笑?いろいろヒストリー

思いついた所から少しずつ書いてみるのだ!

恐怖の虫君・その1
恐怖の虫君・その2
恐怖の虫君・その3
不思議な事
バイトの話
寮のこわ〜い話
レッカー事件!
ドロボー?!大追跡事件!
骨髄バンク
由奈ゲ〜ロが。。。
オーディション
涙、涙の子守唄!
下着姿の老婆のお・ば・け!
ママ、暴漢に襲われる!
病院でのこわ〜い体験・その1
病院でのこわ〜い体験・その2
病院でのこわ〜い体験・その3

 

恐怖の虫君・その1

クモがなにより嫌いだ。蛇やトカゲ、コウモリなんて可愛いモン。
首に巻いたりキスだってできる(バリ
島で経験済み)でも、クモは大嫌いだ。とにかく嫌いである。
中学の時、朝いつもの通り靴をはいた。何かつま先にあたる物がるぞ。気のせいかな?
くらいな感だった。しばらく歩いて、やっぱり何か入っているぞ!
石かなぁ、と、靴を脱いで『ポンポン』と出して
みたら・・・御想像通りでございます。私の足に押されて逃げ場を失って小さく丸まって悲壮の死を遂げた
クモ君がポロリンと出てきたのだぁ!!『
ギャ〜〜〜〜』たぶんそれからトラウマになった。

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恐怖の虫君・その2

アワヨトウムシ、何年かに1度大発生するガの幼虫。毛虫です。
高校の時、チャリ通していた時のこと、遠くに見える道路が、真っ黒に見える。
なんだありゃ?そうです。毛虫の大群が、道路一面に這い出してるのであった。
ギャ〜〜〜〜』大群の手前まで猛スピードでチャリをこぎ、大群突入と共に両足を高く上げ下を見ない
ようにしながら、切り抜ける。で何とかがんばったのであった。
道路だけじゃなく家の壁も真っ黒になっていたぞ!そんなとこにゃぁ住めん!!

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恐怖の虫君・その3

足がいっぱい付いていて(ムカデみたい)凄く早く逃げる気持ち悪い虫。ありゃなんだ!!どうなってるんだ!
まったく!夜勤から帰ってきて夜中に眠れず本を読んでいた。(普段本なんて読まない人よ)視線の角に何か
動く物が、気のせいか?!!!・・・夜中だからさすがに大声は出せんかった。が、そいつとニラメッコ状態。
お互いにしばらく固まっていた。旦那様を叩き起こし(本当に居てくれてよかっああたぜぃ。こんな時は役に立つ)
退治してもらったのだ。実況によると、新聞紙で叩きやっつけたそいつは、なんと、足がバラバラともげたそうな。
ちなみに、そいつとは今までに3回出遭ったことがある。もうやめてくれ!

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虫ネタ気持ち悪い・・・しばらく虫は止めよ

不思議な事

ホントにあった事。子供の頃のこと、居間にはパパと兄ちゃんと私の3人がいた。パパは、新聞を読んでいた。
調度、新聞記事の話題について3人で話をしたりして、確かにそこでパパが新聞を読んでいたのを見ている。
『あれ?新聞は?どこやった?』と、パパ。誰もそこから動いていないぞ!目の前から新聞が消えたのだ。
探したさ。そりゃ。居間の中を。たった今見ていたんだよ。そうしたら・・・・
ありました。隣の部屋のベットの足元に四つ折になって。誰もその場から動いてないんだよ。座敷わらしか?!

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バイトの話

学生の頃、バイトはいろいろやったのだ。
高校の時は、(帰宅部だったので)イトーヨーカ堂の子供服売り場で働いた。
その頃の時給は確か、420円だったかなぁ。それでも1年ぐらいはやったんうえいじゃなかったかなぁ。
 そんな時代、高校3年の終わりの時、パーティコンパニオンのバイトが、2時間のパーティで3000円ってやつ!
俗に言うお座敷コンパニオンではなくって、バンケッター(よく結婚式とかパーティに料理を取り分けたりするやつ)
健全でおいしいでしょ!着物だと3500円、バニーガールだと、2人一組でドリンクを渡すだけの仕事で、6000円!
バニーガールは2回やった。化粧品メーカーのパーティでは、新色の口紅までもらえた。そこは2ヶ月くらいかな。
ホントおいしいバイトでしたね〜おもしろかったし。

看護学生の時は、夜勤のバイトもしたけど、楽しかったのは、夏休みに小樽ー新潟の新日本海フェリー
『はまなす』に2週間ほど乗ったのだ。今は、大分変わったみたいだね。フェリーターミナルも立派になったし。
時給は忘れたけど、600円くらいだったかなぁ。レストランやテイクアウトで売り子したり、茶碗洗いからなんでも
ありで、みんなで合宿感覚で楽しんでやってた。
夜遅くに仕事終わって、洗濯、お風呂、自由になる時間は夜中だったけど、甲板に出て、
日の出を見たり旅行気分だった。残念な事に停泊はなかったのだけど。
舞鶴・敦賀船だったら、停泊があって、その間自由に遊びに行けるのさ。いいよね〜
 でも、楽しい事ばかりじゃなかったんだなぁこれが、テイクアウトでお弁当を売っていた時の事。
完売してさあ閉めようかなぁと思っていた時、先程お弁当を4つ買っていったお客さんが、食べさしのお弁当を
持ってきた『ちょっと、このご飯食べてみなさい!』へ?!『腐っているんだ。こんな物売っていたんだぞ。いいから
食べてみたらわかるから食べてみなさい。』わかりました、上の人を呼んできますと言っても、納得しないのだ。
とにかく私に一口くちをつけさせたいらしい、すぐに吐き出していいから食べろと。。冷静に迫られたのじゃ!
ひぇ〜いじめだぁ〜!!と思いつつ、言われるがままに一口。。オエェ。確かに腐っていたけど私のせいじゃない!
異変に気が付いたマネージャーが(遅いのじゃ)間に入って解決したけど、あのクソオヤジめ!
その他の客からは、苦情はこなかったぞ!仕込んだんじゃないのか!!まあ、それも今となっては笑いのネタ。

あとは、なんちゃってモデルや、博覧会のキャンGなんていうのもやったのだ。と言えば聞こえは言いが、モデル
の方は、お給料がほとんどがうやむやで入らない!まぁタダで旅行ができただけましかっていう感じ。
あの頃は、本当に楽しかったなぁ。バイクに乗ったりで好きな事やっていた。おもしろいバイト探しに一生懸命でさ。
バイトはいいもんだすよん。

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寮のこわ〜い話

看護学校時代の事。準看は、夕張の学校で当時は全寮制だったのだ。(ちなみに、正看は札幌の道立衛生
だったので、寮には入っていませんのだ。)寮自体は、新しい建物だったんだけど、でたんだな、おばけが。
はじめは、怖かったけど、だんだん慣れてきちゃって。わたしは、ハッキリ見たことはないんだけど、いっぱいあった。

私が経験したのは、食事当番の時、2人1組で病院の厨房から寮まで、ワゴンに食料を乗せて運ぶのだけれど、
決まってある場所の所を通る時、「ねえ」って声をかけられたのだ。
ワゴンだから、前で引っ張り、後ろで押すんだけどお互いに立ち止まって「今呼んだ?」って。。3回あったさ。
しかも、その友達とのペアの時だけなのだ。コワ!

あと、「フラッシュお化け」と名づけたんだけど、消灯後に、洗面所で歯を磨いていた時、廊下でパシャっとフラッシュが
光った。何だこんな時に写真か?誰が撮ってるんだ?ひょいっと廊下を覗いた。誰もいない。。あれ?でも、まぶた
を閉じたら、光の残存が残っている。もちろん外から光が入ってくるような所ではない。
不思議!と思ってみんなに話したら、その後、他の友達も2人くらい同じものを見たといっていた。

次は、一番不思議な話。田舎の病院なので、分娩はめったにない。
その日、分娩がはじまったと、お呼び出しがかかって、学生みんなで見学に行った。
はじめてのお産見学で、わくわくしながら見学していたが、初産婦さんなので、なかなか産まれないのだ。
ずっと立ちっぱなしで、気分が悪くなった学生が、一人分娩室から外に出て休んでいた。
私も、しゃがんで下を向いていた。「オギャ!」あっ!産まれたぁ!??慌てて立ち上がって見ると、あれ?
まだ産まれていないのである。周りの他の学生も何事もない顔をしている。
(あれ?今、確かに声がしたんけどなぁ気のせいか。。)と思っていたら、外で休んでいた学生も慌てて分娩室に戻ってきた。
その学生もあれ?っていう顔をしていた。まもなく元気な赤ちゃんが産まれ、感動のお産見学ができたのだ。
あとから、分娩室で一緒に見学していた学生に、さっき産まれる前なのに「オギャ!」って声が聞こえたしょ。と言われた!
そうそう!聞こえたよね〜!
その子も、私が突然顔を上げて立ち上がった様子を見て、「聞こえたんだ」と思ったんだって。それから、外で休んで
いた子にも聞いて見たら、やっぱり「オギャ!」って聞こえて慌てて入ってきたらまだ生まれていなくてびっくりしたと!
見学はみんな並んで見ていたのに、その声を聞いていたのは、私と、もう一人と、外にいた一人の3人だけ。
あとは、そんな声は聞こえなかったってさ。いったいなんだったんだろう!?

あとは、まだまだたくさんありましたよ。食堂のTVが突然大音量でついて、寮のおばさんがびっくりしたり、あしおとが
聞こえたり、友達はよく、ベットが揺れるっていってた。部屋が急に寒くなったり、血だらけの女の子が鏡に映ったりコワ!

私にとって一番怖かった(笑)話。しゃれになるようで、ならんわい!って怒られたんだけど。今じゃ、笑いのネタ。
ある日の朝、咽が渇いたわたし。
昨日の晩にみんなで内緒の宴会(ちょくちょくやっていた)の残りで、ワインが良い感じで冷えていたのだ。
何を思ったのか、半分寝ぼけていた事もあって、ワインはブドウジュースみたいなもんだろう。
と思ってコップに1杯グビッとやったのだ。まだ若かったぜぃ。
ワインのアルコールの強さもわからず、酒も弱いのに、これから学校に行くのに飲んじゃったのだ!!!うひゃ!
教室の前で、倒れちゃった!血圧が下がったんだなこれが。ちょっとした急性アルコール中毒ってやつ。えへ。
友達と先生が慌ててやってきて、車椅子に乗せられて、実習室のベットに運ばれて、血圧測ったけど、触診60しかなく
みんなの慌てている声は聞こえるんだけど、私は動けなくて。。そこに、院長が登場!性昇圧剤か何かの点滴をされた。
その時、酒の臭いもぷんぷんさせていたらしい。理由を知った先生や友達にはしっかり怒られたのであ〜る。
あたりまえか。わけがわからなかった時、先生は、点滴のルートをとるのに、血圧が下がっているし血管がなくなって
いて、なかなかルートが取れずに、慌てた先生の手がガタガタ振るえていたそうな。
わたしゃ、手の甲に針をブスブスさされて、痛み(抹消に行くほど痛いものである)で意識がハッキリしたのを覚えている。
みなさん、ご心配おかけしました〜!!すんましぇ〜んでした!
その後、少ない小遣いの中、時間外救急の高額な受診料をしっかり取られバチがあたったのであった。
親には内緒にしていたのだ。もう時効だよね。

それともう一つ、寮の門限は、9時である。9時だよ9時。そのころは遊びたい盛りさね。
それでなくても、田舎に監禁(笑)されているんだからストレスが溜まるわさ。
ある日、寮のおばさんが、札幌で結婚式があるとのことで、1日だけ留守になる日があったのだ。
悪巧み4人集(うちの1人だった)がこんなチャンス逃すわけがない。夜に抜け出してカラオケしに遊びに行こう!
(田舎なのでカラオケぐらいしかなかったのだ)ということになった。
作戦会議である。女子寮なので、セキュリティは厳しい!消灯後に、玄関の鍵は開けられないアラームが鳴るのだ。
もちろん1階の窓も、開けるとアラームが鳴り響く。
だからいつも、窓を開ける時は、おばさんに言ってスイッチをOFFにしてもらってから開けていたのだ。
おばさんが出かける前日、暑いから窓を開けるよ。といって、スイッチをOFFしてもらった。
そこで、ドライバーの登場!窓のセンサーをなんと、外しちゃいました。これでよしと。
当日、9時消灯後、1階の部屋に集合、窓から抜け出しカラオケへ出かけたのであった。
留守番組みとの約束もあり、(見つかったらどうしようとヒヤヒヤだったらしい。ゴメンネ!)
11時には、警備のおじさんが、寮の周りを見回りに来るので、それまでには帰らなくてはならない。ほんのちょっとのお遊び。
というか、抜け出す事のスリルを味わう事の方が目的だったような感じだね。
さて、帰って来ました。窓から帰ろうっと、あれれ、結構高いぞ!一番背の高い私は、みんなを担ぎ入れる役目になった。
さて、最後に私が上がるぞというと、今度は、後ろから押し上げてくれる人がいないのでなかなか上がれない!!
警備のおじさんが歩いてくる懐中電灯の明かりが見え始めた!!!「はやくはやくはやくぅぅううう〜〜〜〜」なんて、
叫びながら、壁を蹴り上げて、みんなに引っ張ってもらって危機一髪のところで部屋に入り込む事ができたのだ!
セーフ!!スリル満点の出来事だったのだ。翌日壁には、私の赤い靴下の跡がハッキリ残っていた。(笑)
これも時効時効!
まぁ、どうしようもない問題児ではあったが、ちゃんといい所に進学できたからよしとしよう。

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レッカー事件!

ああそりゃわたしが悪いさね。駐車違反は犯罪ださね。でもさ。いとこの車をレッカーすることたぁないだろ〜!
ある日のこと、兄ちゃんの車を借りて、友達のアパートに遊びにいった。駐車場がないので、アパートの前に路駐した。
さて、帰るぞ、バイバーイ。あれ?・・・・!!!くっ車がな〜い!しかも、路上にはチョークで親切なご案内が。。
レッカーされた!
目の前のアパートにいる事は、ハッキリしているのに、どうしてスピーカーででも呼びかけしてくれないんだよ!
レッカー代金までとらなくったっていいだろうがぁ〜!!
すぐに、警察署に行って手続きして、駐車場に車を取りに行ったら、たったの30分しかたっていないと。超ムカツク。
でもさ、日頃駐車違反はするなよ。と、親達から言われていたので、内緒で罰金を払っていたはずなのにぃ。
数日後、兄ちゃんが「最近駐車違反が流行っているんだってよ〜!レッカーされるぞ〜!罰金っていくらかかるか
しってるか〜」なんて、何ともわざとらしいセリフ。「えっ?なぁに?」なんてごまかそうとしたけど、何で知っているんだ
と不思議に思い私は白状したのだ。
私の、同い年のいとこ(男)は、おまわりさんである。友達のアパートはその交番の管轄内。
そうなのだ。以前に同じくレッカーされたと言うヤツから電話で通報があったらしい、今止まっている車ももって行けと。
カップラーメンにお湯を入れてさあ食べようと思った時の通報だったらしく、おあずけを食らった腹いせに(笑)思いっきり、
えいやぁ!赤切符を切ったのだろうさ。
本署に戻ってから、自分がレッカーしたのは私の車だってわかって(笑)わらうんじゃねぇ〜!
親に話して、そこからうちの親と兄ちゃんまで話が行ってバレバレだったのだ。
嘘のようなマヌケな本当の話。あん時の罰金返せ〜!大事なお小遣い〜!こんにゃろめ〜!(私が悪いんだけどさ)

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ドロボー?!大追跡事件!

夜、父とテレビで映画を見ていた。調度クライマックスの良いところだった。だから時間にして11時近くの事。
兄ちゃんが、居間に入ってくるなり、「あれ?今(父)外の庭に行ってたか?」いいやぁ、テレビ見ていたよぉ。
兄ちゃんは2階の部屋で本を読んでいて、その後トイレでふんばっていた。
そこに、トイレの窓の前を誰かが歩いて庭の方に行ったのだ。父でもいつものように夕涼みに出たのだろうと思って、
用を足してから居間に入ると父がいたもんだからそう言ったのだ。
「誰かいるぞ!」と、兄ちゃんと、父は傘かなんかを持て出て行った。私は調度テレビがいいところだった
ので、(ネコかなんかじゃないのと思っていたし)テレビが終わってからだいたい3分後くらいに外に出て見た。
「・・・・・・・・・」あれ?誰もいない・・・
もしかしたら本当にドロボーか何かがいて、2人共やっつけられのかも!庭で倒れていたらどうしよう。
急に怖くなった!玄関を開けたまま離れるわけにもいかないし、どうしよう。どこいったんだろう。。とウロウロしていたら。。
向こうの道からおまわりさん3人と、兄ちゃんと父が歩いてくるではないか!!!

外に出た2人は庭へ。すると、庭から木の塀に慌てて隠れる人影が!「コラッ!まてぇ!」怒鳴ると男は逃げ出した。
そこを、兄ちゃんと父は追いかけて追いかけて2丁くらい離れた所で捕まえたのであ〜る。
そして、公衆電話で110番通報したのだ。
その男、くさいくさい!(らしい私は見ていない)男で、友達のうちを探していて間違えたといっていたらしい。
前科もなくて注意だけで開放したらしい。そのくさくさ男。絶対ドロボーかなんかだよ。
でも、よく追いかけたよね〜。今じゃダメだよ。深追いは禁物!何があるかわからないからね〜物騒な世の中だからね〜

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骨髄バンク

はじめて就職した病院では、血液内科と、泌尿器科の混合科の病棟で働いた。(結婚後は、某泌尿器科の病棟で
妊娠するまで、働いた。だから、外科系と、ウロ専門って感じかな)
結婚するまでの1年9ヶ月間だけだったけど、新米ナースとしていろんなことを吸収する事ができた気がする。
職場も楽しかった。
血液内科。白血病の患者さんが多かった。そこには、いろいろなドラマがあった。どれも強烈に印象に残っている。
若い人も多かった。私の友達のおばあちゃんや、おとうさん、おにいちゃんも入院してきて、看護した。
知り合いなだけに(そうでなくても)亡くなっていくのを見るのは辛かった。もちろん、今でも元気な人はたくさんいますよ。
白血病にもいろいろなタイプがあって、治療もいろいろあるのだが、やはり、骨髄移植がもっともよい。(もちろんリスク
も高いし、全てが適応ではないが)簡単に、じゃあ骨髄移植してください。といってできるわけではない。
骨髄は、人工的に作れる物ではないのである。親でさえ、分け与えられる物ではないのである。
姉妹(兄弟)でも移植できる確立は4分の1。
その治療ができず、亡くなっていった患者さんをたくさんみてきた。

同じ病院のオペ室の看護婦さん。風邪症状で検査した所、白血病と診断され入院してきた。
化学療法で髪の毛は全部抜けて、副作用で感染を起こしたりと、ひどく苦しい目にあっていた。しかし、彼女は、いつも、
笑顔を見せて、看護婦にとっての、『良き患者さん』を最後まで演じていた。
彼女には、姉妹がたくさんいた。その中で、骨髄の型が合うお姉さんが一人みつかった。
しかし、そのお姉さんは、『エホバ』だったのだ。お姉さんは、体重が10kg痩せるくらいに悩んで、悩んで、悩みぬいた。
結果は、宗教上、移植はできないと。誰も責める事はできない。彼女の無念さは、伝わってきたが、決して言葉には
出すことはなかった。移植はできないが、お姉さんの愛は、十分に受け取っていたのであろう、理解していたのであろう。
彼女の最後は、私が看取った。夜勤で、もう何も食べられなくなっていた彼女。水を飲みたいといって、一口飲ませて
あげることができた。申し送りで、水を飲みました。少し元気が出てきたのかもしれない。と送ったそのあと、付き添っていた
お姉さんからナースコールが、ちょっと様子がおかしいですと。駆け付けてみると、お姉さんが(看護婦さんでした)彼女(妹)
の心臓マッサージをしていたのです。その光景、忘れる事はありません。家族それぞれ、どんな思いをしていたのか。。

骨髄バンク登録しました。これで、誰かを救う事ができるのならば。ひとりでも、あの辛い思いをしなくてすむのならば。
骨髄バンクに登録。勇気がいることでしょう。かなりのリスクがあります。危険がないわけではありません。
でも、白血病になったのが、自分の大切な家族だったら。。もし、そうだったら、骨髄、欲しいでしょ。そういう立場に
ならなければわからないこもしれないけど。バンクに登録してからもう7年くらい経ちますが、まだ、移植候補にあがったこと
は、ありません。私には、兄ちゃんがいますが、型があっていたらいいなぁとおもいます。縁起悪い事言うなって怒られそう。
たくさんの方が、登録してくれたらと思う気持ちはあります。

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由奈ゲ〜ロが。。。

今、起きたこと。由奈といつものように遊んでいた。首をこちょこちょくすぐるとキャキャとくすぐったがるのでそれが可愛くて、
おもしろくてくすぐっていた。お腹の上に向かえあわせに抱っこして、そのままゴロン。
由奈が、私の顔に自分の顔をくっ付けて来た。その途端、口を開けて笑っていた私の口の中に、由奈のおゲロちゃんが!
「*@;!。;@!!!」すぐさま洗面所に駆け込みウゲェ〜!ミルクヨーグルト臭のオゲロちゃんを食べさせられたのである
由奈は、ケラケラ笑っていて上機嫌!してやったり!という顔をしているぞまったく。
こんな仕返しをされるなんて。むむむむ。やられた〜やれやれ。(爆)

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オーディション

昔々、真剣に映画の女優さんになりたかった。あの時代の角川映画のような物に憧れていた。ほら、時をかける少女とか。
主役ではなくて、味のあるなくてはならない脇役。ルパン三世の次元のような存在。
その夢を何とかかなえたいと、いろいろなオーディションを中学生の時から21歳まで受けていたのだ。
まったく、今ではお笑いのネタでございますが、そのときの私は結構マジだったのであ〜る。
私の中で、オーディションを選ぶにあたって決めていた事がある。そのオーディションを受けるのにお金がかかるものはダメ。
オーディションは名目で、お金を取るのが目的のものもたくさんあるからだ。

はじめて受けたのは、中学生の時、友達が一緒に受けようと誘われたのだ。映画、「生徒諸君」(小泉今日子出演)の第2弾
として企画された、「バージンロード」の映画出演者オーディションである。(結局この映画はのちに、スクリーンではなく
Vシネマになったようである制作費の問題らしい)書類審査、テープ審査をパスし、札幌地方選まで進んで行った。
地方選は、札幌市民文化会館でステージにあがってのオーディションである。(ちなみに友達は落ちちゃった)
観客は、応援にきてくれている親や友達など。100人くらいはいたかなぁ。ステージサイドには大きなスクリーンがあって
自分の顔がアップで映るようになっている。まず、全員がステージに上がって自己紹介をする。
そして、その中から、15名選ばれるんだけど、その中になんと選ばれたのだ!一人一人ステージに上がってアピールする
緊張しまくった私は、ただ自己紹介に毛はえただけの事しかしなかったはず。最終の1名には選ばれずあえなく撃沈。

次は、高校1年の時。テレビ「毎度お騒がせします」(中山美穂出演)の続編の出演者募集。
書類審査、テープ審査をパス、札幌地方選まで進んだ。正直言ってここまでも進むとは思っていなかった。
なぜなら、この時私は、歯に矯正をしていたのだ。どうにかそれをプラスにはできない物かと考えて、書類かテープに矯正
している事を告白した。「外国じゃ矯正は当たり前のことのようにみんなしています。役者でも見かけます。友達の中で、
一人くらい矯正している子がいたっていいじゃないでしょうか。」落ちて当然と思っていたら通知が来たのだ。
札幌地方選はテレビ局で行われた。これは、本格的なものであった。3〜40人くらいだったかなぁ。
オーディションスタッフの方が、一枚の張り紙を持ってきて壁に貼った。「毎度お騒がせします」のワンシーンのセリフである。
これを、覚えて10分後にやってもらいますと。この時、中学の時のお遊び的なオーディションとは違うものをグググッと感じた。
10分後、5人ずつ呼ばれた。同じく5人ぐらいの審査員の前で、先程覚えたセリフを一人一人演じてその後、質問される。
やっぱり私は矯正のことを聞かれた。矯正は何時までしなければならないのか?外す事は出来るのか?などなど。
そんな事聞くっていう事は、次があるっていうことだぁ〜!なんて期待していたけど、本選へは進みませんでした。

高校の時は、その他に、『スケ番刑事』の映画のメンバー。これは、一発書類で落ちた。

高校卒業し、準看の学生時代は田舎で寮生活。オーディションの情報もはいらず。
正看の学生時代1年生の時。もう若くもないけど最後にどこまでいけるかやってみよう(この頃は夢を。。というより試してみたい
という好奇心の方が強かった)と、その当時のオーディションテレビ番組で『ゴールドラッシュ』というのがあってそれに応募した。
司会が、堺正昭と、女子アナ八木あきこ。それの第1回目になんと東京まで行った、TVにもちょっとだけ出たのであ〜る。
札幌地域予選通過の通知が来た。本選は、東京のフジテレビで、番組収録へ。2泊3日のスケジュールでオーディションをする。
もちろん、往復の交通費(JR・飛行機)と、ホテル宿泊費、食費(お弁当だったけど)は全て、フジテレビもちで!!
集合はフジテレビ(以前の)東京に一人で行くのも初めてで、ホント、ドキドキワクワクしたさ〜!
なんとかついて、控え室に集合。カメラ取りとか、ビデオ取りとかその日は、夕方まで次々とオーディションが進められていく。
次の日は、課題として出された、自分で考えた演技を5分間やる事になった。5分ははっきり言って長いです。
自分で演技まで考えるなんて思っていなかったからその日の夜は、眠れなかったなぁ。
ホテルはみんな一緒だったから、歌手の人とかは、歌の練習の声とかドア越しに聞こえてきたりして。
みんなそれぞれ、夢を抱えていて、一生懸命だった。(楽屋で長い時間一緒だったのでおしゃべりしてきいた)
それぞれが、プレッシャーに押しつぶされうになったりで、みんな眠れなかったようだった。
次の日、一人一人歌や演技など、オーディションをそれぞれのジャンル別に集まって一通り終わらせた。
さあ、ココからが番組収録だ。番組の冒頭にこれまでのオーディションの合格者の発表をするのだ。そして、合格者のみが、
今度は、スクリーン(TV)の前で、番組内でオーディションを続けていくのだ。
堺正昭が、「合格者の発表です。1番・2番・3番・・・・」と番号を読み上げていく。呼ばれたものは、ステージ前に並ぶ。
『3番』ドキッ!!!っとした。と共に頭の中が真っ白になった。呼ばれたのである。
私は、北海道だから番号が若い。北海道代表は確か4人くらいだった。だからいきなり呼ばれたって言う感じである。
でも、すぐに冷静になれた。気がついたのだ。これは、呼ばれた者が不合格だと。ハッキリ言って全然自信がなかったし、
呼ばれる数も多い、よく見ると、良く出来ていた人が残ったままだし、間違いないと。ああそれなのに、ガッツポーズで降りてくる
ヤツとかがいて、おいおい気づけよ〜。かわいそうにがっかりするぞ〜。なんて思って冷静に見ていた。(内心ホッとしていた)
その時の最終合格者は、ココリコ遠藤と結婚した『千秋』なのだ。控え室でおしゃべりもしたのを覚えている。
その当時から、不思議な雰囲気をにじみ出していた。千秋は専攻(歌手・俳優・モデル・お笑いのジャンルで分かれていた)
が『歌手』で、確か、恋のフーガを歌っていたはず。

それから、何回か放送した後、突然また、ゴールドラッシュから、札幌地方選通過の通知が届いた。へ?今度は受けないよ?
もう一度チャンスをくれたのか、人数合わせに呼ばれたのかはわからないが、前回でもうすっかり自分は俳優になる才能はない
と思った私は、もう本選には行かなかった。(予定が合わなくて行けなかったんだったかなぁ。忘れた)でも、今考えると、
タダで、東京に行けるのだから行っておけばよかったのにとちょっと思う。
以上のオーディションで私も受けたよ!知っているよ!という方いませんか〜
掲示板でもメールでもいいから連絡待っていま〜す!!
ゴールドラッシュのオーディションの直後にもう一つ受けたオーディションがある。プロダクション3社合同のやつである。
これも、地方選はパスしたのだが、本選の東京は、飛行機代がこちら持ちであった。合格したら全額費用支払うとのこと。
う〜ん。お金がかかるのはキツイな。受かるわけもないしなぁ。と思ってお断りの御手紙を書きました。
もちろん、その日は、予定が入っていて東京にはいけないと、残念だが、夢は諦めないとかなんとか、どうせ合わないのだから
ちょっと大げさに書いて送ってみた。それから、半年以上たった新年明けたばかりの1月4日(お正月だったから覚えている)
その、プロダクションの1社から、突然電話がかかってきた。年末の書類整理していた時に、手紙を改めて読んだと、
是非、直接面談したいと。私は、ゴールドラッシュのオーディションでもう自分には才能がないとつくづく思ったので無理だと
断った。そうしたら、才能は自分で決める物ではないと。。面接する日、飛行機のチケット、その日着ていく服の特徴まで決めた。
もし、合格したら、すぐに東京に来てもらうと。
学校を辞めて。その時、正看の1年生の終わりだった。後1年で卒業だ。
学校だって簡単に入ったわけではない。もし、東京に行ったとして、売れなかったら。。というか、やっぱりどう考えたって、
売れるわけがない。ここまでがんばってきた看護学校を辞めてしまって、そして、芸能人としても芽が出なかったら。すべてが
中途半端だ。そうなると、これからの人生全てが、中途半端に進んでいってしまうような気がした。
俳優になるのは夢だったのは、確かだが、看護婦になるのも現実のそこにある夢であった。
電話を切ってから、冷静にその事を考えた。そして、また、お断りの御手紙を書いたのであった。(笑)めでたしめでたし。

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涙、涙の子守唄!

わたしが、心をこめて歌うと由奈が悲しそ〜〜な顔をして泣き出してしまう歌が2つある。
一つは、元 ちとせの「わだつみの木」だ。凄い不思議で、必ずへの字口になり目に涙をウルウルと浮かべ始めて泣き出して
しまうのである。もうひとつが、最近歌ってみたら同じく泣き出した、NHKおかあさんといっしょに出てくる「富士おばば」の歌
である。一体何を感じているのだろうか???
い〜えいえいえ。わたしは決して歌がヘタではありません。(笑)ホントホント!
いろんな人の前で、歌ってみたけど、やっぱり泣くのでみんな不思議がっています。こんなことってあるのかなぁ?
あんまり試すと可愛そうなのでしばらく辞めようっと。何が悲しいのか由奈が大きくなったら聞いてみるのだ。

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下着姿の老婆のお・ば・け!

看護学生だった頃の話。冬の初めで、道路にはシャーベット状の雪が積もっていた。日没時間であたりは薄暗かった。
学校帰りだったか、歩いて家路に着こうとしていた。
家の前まで着いたところ、玄関の前の道路にキャミソール一枚の姿でザンバラ髪の老婆がこちらを向いて立っているではないか!
この雪の振る中こんな姿で!お化けだ!見ちゃいけないものをとうとう見てしまったぁ!!玄関の前で私はその老婆を見て凍り
ついてしまった。すると、老婆はこちらにゆっくりと歩いて近づいてくるではないか!歩いて!?
「あの〜すみません。息子の家にタクシーで着たんだけどわからなくなっちゃって・・・」「@;:。!!?!」
この老婆、お化けじゃなかった。あっ〜!!ボケているんだ。徘徊してるんだ。こんな格好じゃそう遠くに住んでいる訳はないな。
とにかく風邪引いちゃ大変だ!と、そのおばぁちゃんを玄関に入れた。
よく話を聞くと、やっぱりタクシーに乗ったと。まぁ、そんなわけはないのだけど(こんな格好じゃ)そう言ってきかない。
息子の住所を聞くと、これまた存在しない数字の丁目(忘れたけど35とか)を言うし。そうだ!名前は?
息子の名前を聞き出した。よし。さて、どうしようか。警察に電話すれば簡単だろうがその前になんとかならないものか。
そうだ。104に電話しよう!という訳で、104に電話したのだ。一応聞いた住所を言うがそんな物存在しない。
そこで、104の交換手に事情を相談。家の住所を教えて、ここの近所で息子さんの名前がないか調べてもらった。
本当ならそういう調べ方はしていないのだけれど、交換手さんも調べてくれた。ここから1丁離れた所だ。間違いないだろう。
早速電話してみる。「えぇぇえええ!おばあちゃん!ちょっと待って!・・・・・・・・・・・・・いない。そうです。今から迎えに行きます」
ということで、一件落着。下着姿のおばぁちゃんは笑顔で振り返りながら帰っていったのであった。(笑)おだいじにぃ。
マジで、お化けを見たと思った!あれから、そのおばぁちゃんを見たことはない。もういないんだろうなぁ。

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ママ、暴漢に襲われる!

11月の終わり、札幌に帰省していた時の事。
夕方、お買い物へとじぃちゃんと、由奈を抱っこした私が近所のスーパーに入ったのだ。
土曜の夕方だけにお客さんもたくさんいて賑わっていた。
入ってすぐに突然、わたしの頭を後ろからいきなりガツンと殴られたのだ!「はぁ!痛いぃぃ!!なぁにぃぃいい!!!」
片手にゴツイスニーカーを持ったクソおやじが、大声で怒鳴り声を上げながら店の中に入って行ったのだ!!
年の頃は、60〜70代くらいで、あきらかに酔っ払っている!
一瞬何がおきたか分からなかった。わたしの前を歩いていたじぃちゃんも周りの人も
びっくりして振り返る。由奈は無事で、びっくりして固まっていた。
「わけわからん。突然頭殴られた。」
わたしの後ろにいたお客さんが、(状況を見ていたわけよ)「なんだあいつ!頭おかしいんだわ。あら!赤ちゃんいたの!!
大丈夫だったかい」と、何人にも声をかけられた。
「お客さんの一人から、お店の人に言って警察呼んでもらいなさい。」と言われ、
あっそうか、と、すぐに男の店員さんに話す。「あの酔っ払ったじいさんですか。」「そうです。」
すると、出口に向かっていろんなお客さんに怒鳴りながら歩いているクソおやじ発見!
店員さん4〜5人で押さえつけて捕まえたのでした。
事務所に連行されて行くクソおやじを見送りながらやっと落ち着いてお買い物開始。
今度は、お店の店長さんらしき人が来て、警察を呼んだので事情聴取をとのこと。
若いおまわりさんと、婦警さん2人来ていた。クソおやじとは会わずに事情聴取する。
どうやら、酒酔いらしい。傷害罪で訴える事も出来るとの事だが、怪我はしていないし、
お店や他のお客さんに迷惑がかかっていないのならば大げさにする気はないし、クソおやじの顔も見たくない!
厳重注意と、今後お店の出入り禁止のおとがめをするとの事で納得した。

まったく、世の中どうなっているんだ。ナイフで刺されていたらと考えたらコワ!!
由奈じゃなくて良かった。

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病院でのこわ〜い体験・その1

独身の頃の、最初の勤務先の某総合病院で出来事。
血液内科病棟には、無菌室というのがある。
患者さんが入る病室なのだが、骨髄移植や、自家末梢血幹細胞輸血(PBSCT)を併用した大量化学療法を行う場合、
治療の過程で、自分の白血球がゼロまで落ちる。となると、感染による抵抗力がまったくなくなる。
そういった場合、無菌室という細菌がゼロのお部屋に入らなければならないのである。
患者さんは、副作用による、吐き気・全身倦怠感などの非常に辛い症状と戦いながら、治療を続けていかなくてはならない。
もちろん、白血球が上がるまではそこから出る事だってできない。
看護婦も、厳重な清潔操作の元、看護をしていかなければならない。
患者さんが辛い中、治療のスケジュール(内服など)をこなす為、感染を起こさない為に、保清(清拭、座浴、含嗽などなど)
や、環境整備(掃除など)を、患者さんを励まし支えながら、全て無菌操作でこなしていく。無菌操作は、決してミスできない。
看護婦は、無菌室(患者さんのいる病室)の前の、準無菌室にいて全ての作業をこなす。
その患者さん1人にき、1人の看護婦がついていた。そこからは、昼休みにしか外に出ない。(なるべく清潔にするため)
患者さんが食べられるものは、滅菌食といって、全て(容器も)をオーブンで加熱処理したものだけである。飲料水は滅菌水。
見た目も味も、良いものではない。それでなくても食欲のない患者さんは、ほとんど手をつけない。
それ以外に食べられるものは、レトルト食品である。缶詰やアルミパックは、滅菌水で洗い、アルコールに漬けて殺菌。
その後、滅菌水の電器ポットの中であたためてできあがり。そういうものばかり食べていたなぁ。
雑誌の差し入れも出来た。48時間、ホルマリンの中に入れて滅菌してからはじめて渡すことが出来る。

前置きが長くなったけど、これほど、患者さんは大変な思い出治療を受けているのです。
そして、看護婦も知識が必要。2年目になってはじめてそこの看護につくことが出来る。
先輩看護婦さんと二人で、無菌室看護手順を教えてもらっていた時の事。
前室(準無菌室)に2人で作業を終えて、イスに座って休んでいた。
「すみません・・・」
無菌室にいた〇〇ちゃんが呼んだ。(高校生の女の子でした)
私が行きます。と、〇〇ちゃんのところへ。「どうしたの?呼んだ?」・・・「へ?呼んでないよ?」うそをつくような子ではない。
「あぁそうか。気のせいだった。きっと廊下の声が聞こえたんだね〜」そういって戻ってきた。
そのことを、先輩看護婦さんに伝えた。でも確かに、無菌室の部屋のドアの所から声がしたよね!聞いたよね。。。。

話は変わるけれど、そこの無菌室では、大変な治療でもあったので、昔治療の途中で亡くなった患者さんが何人かいた。
聞いた話だが、無菌室に寝ていた患者さんの所に、夜中、突然坊さんのような人(体験者の表現だが、おそらく副作用で
髪の毛が抜けた人(霊)だったと思う)が、部屋にまた間違えて入ってきたよ。時々来るんだ。今、大変だけどがんばって
と言って行くんだ。と患者さんが言っていたとのこと。
もちろん、無菌室に間違えて入ってこれるはずはない。当時それを聞いた看護婦さんは、その特徴から、以前に治療途中で
亡くなった患者さんだと思い寒くなったらしい。
でも、励ましにくるなんてね。霊を見た患者さんは霊だと思っていないしさ。怖がらせないで励ましに来ていたんだね。。。

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病院でのこわ〜い体験・その2

それは、夜勤の時の事。(結婚後に働いていた某泌尿器科)
消灯後、詰め所のドアとカーテンが閉められる。つめ所の奥に私達が休む休憩室がある。
休憩室は、ナースコールが鳴ったり、患者さんが詰め所に訪室した時にすぐに対応が出来るようにドアは開けたままにして
ある。そこで、2人で雑誌を読んで休んでいた。
「・・す・・み・・ま・・せ・・ん・・・・」
向かい合わせに座っていた2人。思わず顔を合わせる。
普通だったらすぐに立ち上がり、「はい、どうしましたか」となるはずだか。。
声がしたのは、休憩室のドアのすぐそこ。もちろん、そこまで来るには詰め所のドアを開けて中に入ってこないといけない。
そんな気配はなかった。突然声だけがしたのだ。女の人の声。
「今、声したよね。すみませんって。」「はい、聞こえましたよね。」
恐る恐る休憩室から出てみたが、誰もいなかった。。

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病院でのこわ〜い体験・その3

それも夜勤の時の事、消灯後、看護記録を書いていた。
詰め所は廊下沿いにガラス窓が並んで付いている。その為、消灯後は、廊下に詰め所の明かりが漏れないように
カーテンを閉める。
突然、カタカタカタカタカタ・・・・とガラス窓が小刻みに震え出した。
ちょっとなにぃ。。こんなことは今までなかった。たとえ窓が開いててもそんな風にガラス窓が震えたことはない。
震える原因を考えてみた。怖いので、2人(夜勤は2人ペア)で全部の病室を見回りして、窓が開いていないか確認。
どこも開いていなくて、風が入ってきたわけではなかった。
そして、なにごともなく夜勤が開けた。

その時、面会謝絶状態の患者さんがいた。その患者さんは、入院してから一度も歩いたことがないし部屋からも出た
ことがないくらい状態の悪い患者さんだった。(数日後に亡くなってしまった)
次の日の朝、ある自称霊感の強い患者さんがこう言った。
そこの部屋に入院している患者さんは、お腹が痛いんだね。小太りで、パーマ頭のおばさんでしょ。
昨日、消灯後くらいに見たんだよね。お腹を押さえて何か言いたげにうつむいて詰め所の前に立っていたんだと!
患者さんの特徴も、病状(腹部)も当たっている。
もちろんそれは、生きた人ではなくてとのこと。(生霊?)

ガラス窓がカタカタカタカタ震えていた時間と一緒だった。
意識もなく、物言われぬその患者さん。何を伝えたかったのだろう。。苦しかったのだろうか。。
それとも、他に何か伝えたいことでもあったのか。。。
わからないまま数日後に、亡くなられてしまった。

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